大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(ワ)9691号 判決

原告 広瀬忠晴

右訴訟代理人弁護士 木島英一

被告 エスエス製薬株式会社

右代表者代表取締役 泰道三八

右訴訟代理人弁護士 伊賀満

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告は、「被告は原告に対し金一六六万二五〇〇円及びこれに対する昭和三四年二月二一日以降右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び右金員支払を命ずる部分のみについての仮執行宣言を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。

第二請求原因

一、被告は、各種薬品、衛生材料、計量器具、化粧品、食糧品等の製造、販売、輸出入を目的とする株式会社である。原告は、昭和一六年六月頃、一般職員として被告会社に雇われ、昭和一八年二月二五日同会社の取締役に就任してからも、一般職員としての地位を兼ね有していたが、昭和三二年一月一日以降一般職員としての地位を一旦失い、次いで昭和三三年四月一〇日限り被告会社取締役を辞任すると共に同日以降再び被告会社の一般職員となり、昭和三四年二月二〇日退職した。

二、ところで、昭和三二年二月頃、当時の被告会社代表取締役社長白井正助は、原告が前記の如く昭和一六年六月から昭和三一年一二月三一日まで一般職員として在職していた期間に対する職員退職慰労金を一六六万二五〇〇円と決定した上これを原告において取締役および一般職員の地位のいずれをも失って退職するときに支払う旨被告会社を代表して原告に約した。

三、そこで、原告は被告に対し右職員退職慰労金一六六万二五〇〇円及びこれに対する前記退職の翌日である昭和三四年二月二一日以降右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

第三被告の答弁及び仮定抗弁

一、答弁

原告主張の請求原因事実中、被告会社の業務内容及び原告が被告会社の取締役に就任し、その後これを辞任して一般職員となり、次いで退職したこと及びその各日時は何れも認めるがその余は否認する。

二、仮定抗弁

仮に原告主張の当時被告会社代表取締役社長白井正助によって原告主張どおりの約定がなされたとしても、

(一)  被告会社における慣行上、退職金は取締役全員禀議の上、取締役会において決定されることを要するのに、被告会社取締役会の決定にもとづかないでなされた右約定は無効であり、

(二)  また、右約定は、前記白井正助が原告を利する目的を以て、被告会社に損害を与えることを知りつつ行ったものであるから、商法四八六条の特別背任行為であり、かつ公序に反する点においても無効というべく、

(三)  更にまた、当時経営不振で多額の債務を負担していた被告会社の常務取締役の地位にあった原告が、被告に損害を与えるものであることを知りつつ本訴請求をすることは、権利濫用として許されない。

第四被告の仮定抗弁に対する原告の認否

仮定抗弁(一)の事実中本件退職慰労金の決定が被告会社取締役会によってなされたものではないことは認めるが、被告会社において一般職員に対する退職慰労金の決定には取締役会の決議を必要としないものである。

仮定抗弁(二)、(三)の各事実は否認する。

第五証拠≪省略≫

理由

第一  被告会社が各種薬品、衛生材料、計量器具、化粧品、食糧品等の製造販売、輸出入を目的とする株式会社であり、原告が昭和一八年二月二五日、被告会社の取締役に就任し、昭和三三年四月一〇日これを辞任し、翌一一日以降は被告会社の一般職員であったところ、昭和三四年二月二〇日退職したことは当事者間に争いがない。

第二  そして、≪証拠省略≫を綜合すると、原告は、昭和一八年頃被告会社の取締役に就任すると共に特殊薬品部長等一般職員としての業務をも担当していたが、同三二年二月頃右担当をやめたこと、及び同年同月一八日頃、当時被告会社代表取締役社長であった白井正助は、当時被告会社常務取締役であった原告に対し、「昭和三一年一二月三一日限退職慰労金(職員分)が左記の通り決定致しましたので此の段御通知申上げます。記、一金一、六六二、五〇〇〇円(税込)」とその頃被告会社において使用していた用箋に記載した「退職慰労金(職員分)決定額御通知に関する件」と題する昭和三二年二月一八日付広瀬常務取締役あて取締役社長白井正助名義の書面(甲第一号証)を直接交付し、その際、原告に対し右決定金額は原告が被告会社を退職したときに支結すると言った事実を認めることができる。

しかしながら、≪証拠省略≫を綜合すると、(一)被告会社においては、会社役員としての退職慰労金については、金額に特定の基準がなく、株主総会で支給する旨承認を経た後取締役会の禀議にかけ、決定された金額を社長において支給することとなっており、(二)他面、一般職員に退職手当を支給するにあたっては、給与規則の定めるところに従い、退職時の基本給に一定比率を乗じた退職手当金を在職中特に功績の顕著なものまたは長期勤続者に対しては特別慰労金を加算した上取締役会の決定によって支給する慣行であって、いずれにしても取締役会の決定を要する事実を認めることができるのに前記書面記載にかかる退職慰労金が被告会社取締役会によって決定されたものでないことは当事者間に争いがないことに照らすと、前記白井正助のした前記書面の交付及び言明が被告会社を代表して正式になされたものであるとたやすく断定するわけにはいかない。

却って、≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  被告会社は、昭和一六年五月から昭和一八年までの間に原告の協力を得てその取締役をしていた東京医薬株式会社を買収してその機械設備を掌中におさめた結果、大いに業績を上げるに至ったものであるが、(二)昭和三一年その株式を公開していわゆるチエーン組織による全小売店の約半数を株主に加えるに及び、従来白井正助及びその一族が大多数を占めていた取締役も、その過半数を小売店の代表である非常勤取締役によって占められるに到ったので、(三)当時の被告会社社長白井正助は、同社副社長相良政一郎と謀った上、同社常務であった原告、同社専務であった白井通博等を含む被告会社常勤取締役らに対し一般職員としての退職慰労金額を決定しておき、後に取締役会の決議を経てこれを支給する意図のもとに、原告には前記書面(甲第一号証)を他の常勤取締役に対しても金額と宛名とを異にするが同形式の通知書を各別に交付したものであって、(四)被告会社の東京医薬株式会社買収に前記の如く協力した原告に対しては、その功労に感謝する意味で一般職員退職手当に特に金五〇万円を功労金として加算したものが退職慰労金として記載されていた。(五)ところが、被告会社は、昭和三二年二月二〇日頃金融に行詰って振出手形につき不渡り処分を受けたため、白井正助、相良政一郎、白井通博らは被告会社役員を辞任し、原告も前記のとおり被告会社取締役の職から離れるに到ったので、右退職慰労金支給に関しては、被告会社取締役によっても同株主総会によっても遂に決定もしくは承認されなかったものである。

以上、(一)ないし(五)認定の諸事実に徴すれば、前記白井正助が原告に対して前記書面(甲第一号証)を交付し、前記のように言明したのは、被告会社を代表して原告に対し退職慰労金の交付を正式に約したものではなく、後日取締役会の決議その他所要の手続を経た上支給さるべき退職慰労金額を内示したに過ぎないものであったことが窺われる。

第三  してみれば、原告主張の請求原因二のような約定の成立は遂にその証明がないことに帰着し、右約定を前提とする原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添利起 裁判官 園部秀信 西村四郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例